病棟の畑当番が救った、何もできなかった夏【児童精神科看護師の体験エッセイ】

畑当番エッセイを表すやさしい水彩タッチのイラスト 児童思春期精神科の現場から

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この記事の要点

  • 治療が進まないように見える時期にも、回復は静かに動いていることがある
  • その子を支えたのは特別な支援ではなく、畑の水やりという小さな役割だった
  • 毎朝の繰り返しが、生活リズムと会話の糸口を取り戻す土台になった
  • 「今日も一日が過ぎた」こと自体に、数えていい価値がある

児童思春期精神科の病棟で働く看護師の星野レンです。看護師歴は8年、うち児童思春期精神科病棟で5年以上になります。夏が来るたびに思い出す光景があります。朝の光がまだ柔らかい時間帯、ホースの先から出る水が野菜の葉に当たって、ぱたぱたと音を立てる。病棟の隅にある小さな畑で、ひとりの子が黙って水をやっている、あの後ろ姿です。

その夏、その子の治療は、誰の目にも「進んでいない」ように見えました。面談は続かず、学習の時間は空白のまま。看護師である私たちも、面会に来るご家族も、同じ無力感を抱えていました。それでも季節が終わる頃に振り返ってみると、確かに何かが動いていたのです。今日はその話を、できるだけ情景のまま書いてみたいと思います。

※本記事のエピソードは、個人が特定できないよう複数のケースを合成し、状況を抽象化しています。

夏の病棟に流れる、止まったような時間

学校が夏休みに入ると、病棟の空気は少し変わります。外の世界の時計がゆるむのに合わせて、子どもたちの緊張も少しほどける。その一方で、「夏休みの間に少しでも回復を」という期待が、大人の側に静かに積み上がっていく時期でもあります。9月には学校が始まる。その事実が、カレンダーの向こうからこちらを見ているような感覚です。

入院している子どもたちの治療は、目に見える形では進んだり止まったりします。面談で気持ちを話せた週もあれば、部屋から出られない週もある。私たちは経過を記録し、カンファレンスで共有しますが、正直に言えば「今週は書くことがない」と感じる時期が、どの子にも訪れます。

そういう時期の面会室では、ご家族の表情も硬くなります。「変わりないですか」という問いに、「変わりないです」と答えるしかない日が続く。その「変わりない」という言葉が、お互いの胸に少しずつ重く沈んでいくのを、私は何度も見てきました。

窓の外では蝉が鳴いて、廊下の突き当たりには白い光がたまっています。時間はちゃんと流れているのに、この病棟の中だけ止まっているのではないか。夏の午後、ナースステーションでふとそんな錯覚に襲われることがあります。あの夏は特に、その感覚が強い夏でした。

面談でも学習でも、動けなかった子

その夏に受け持っていた中学生の子は、まさにそういう時期の真ん中にいました。朝はなかなか起きられず、午前中はベッドの中。心理面談の時間になっても言葉が出ず、途中で切り上げになることが続きました。院内学級のプリントは、机の上に白いまま重なっていきました。

スタッフはいろいろな入り口を試しました。好きだと聞いていたゲームの話題、短い散歩の誘い、作業療法のプログラム。どれも、はっきり拒否されるわけではないのに、続かない。手応えのなさというのは、拒絶よりもかえって応えるものです。「何をしても届かない」という感覚が、チームの中に薄く広がっていきました。

面会に来たご家族が、帰り際にぽつりと言いました。「うちの子、このまま夏が終わってしまうんでしょうか」。責める口調ではなく、ただ疲れた声でした。私は「焦らず見守りましょう」と答えながら、自分の言葉が薄っぺらく聞こえるのを感じていました。見守ると言いながら、何を見ればいいのか、私自身がわかっていなかったからです。

唯一続いたのが、畑の水やり当番でした

私たちの病棟には、建物の脇に小さな畑があります。作業活動の一環で、初夏にミニトマトときゅうり、ピーマンの苗を植えました。水やりは当番制で、朝の決まった時間に、その日の当番の子がスタッフと一緒にじょうろとホースを持って外に出ます。時間にすれば10分か15分の、ささやかな日課です。

その子の名前が当番表に入ったのは、本人が希望したからではありませんでした。「順番だから」という、それだけの理由です。正直、続かないだろうと私は思っていました。面談にも学習にも向かえない子が、朝の水やりに出てこられるとは思えなかったのです。

ところが、続いたのです。当番の朝、その子は誰に起こされるでもなく、時間の少し前にホールに出てきました。寝癖のついた頭のまま、サンダルをつっかけて畑に向かう。ホースの水を細く絞って、一株ずつ根元にかけていく。言葉はほとんどありません。ただ、水が土に染みていくのを、じっと見ていました。

なぜ水やりだけは続いたのか。後から考えて、思い当たることがいくつかあります。まず、誰とも目を合わせなくていいこと。面談は向かい合う営みですが、水やりは苗と向かい合う営みです。次に、正解を求められないこと。「どう思う?」と聞かれることも、答えを評価されることもない。そして、10分で終わること。この子にとって、それはちょうど越えられる高さのハードルだったのだと思います。

「治療的なこと」は何もしていないように見えた

それでも、カンファレンスで報告できることは相変わらずありませんでした。面談は進んでいない。学習も手つかず。退院に向けた話し合いも動かせない。「水やりだけはしています」という報告は、治療の進捗としては扱われにくいものです。私自身、それを「本題の外側にあるもの」として話していた気がします。

ただ、看護記録を並べて読み返したとき、あることに気づきました。当番の日、その子は必ず朝起きている。起きて、着替えて、外に出て、体を動かして、朝食を食べている。午前中をベッドで過ごす日が減り、当番でない日も、起きる時間が少しずつ前にずれてきていたのです。

水やりは、誰にも評価されない営みです。上手も下手もなく、点数もつかない。できたかどうかを問われることもない。ただ、水をやらなければ苗は枯れる。「自分がやらないと困るものがある」という感覚を、この子はあの畑で、たぶん久しぶりに手にしていたのだと思います。

私はその頃から、看護記録の書き方を少し変えました。「面談は実施できず」で終わらせずに、「6時50分に自ら起床し、水やり当番を実施。トマトの実の数を数えていた」と書くようにしたのです。書きながら、記録というのは「できなかったこと」の帳簿ではなく、「あった一日」の記録なのだと、当たり前のことを思い直していました。

実がなる。収穫する。みんなで食べる

7月の半ば、ミニトマトが色づき始めました。緑の実がだいだい色になり、赤になる。その変化は一日ごとに目に見えます。水やりのあと、その子が実の前でしゃがみ込んで、しばらく動かない日がありました。何を考えていたのかはわかりません。ただ、その背中は、病室で天井を見ていたときの背中とは違って見えました。

初めての収穫の日は、ちょっとした騒ぎになりました。当番だったその子が採ったミニトマトを、ホールで他の子たちが取り囲む。「おれにもちょうだい」「まだ青いのある?」。その子は無言のまま、ざるを差し出していました。差し出す、という動きができること。それ自体が、あの時期のこの子にとっては大きなことでした。

きゅうりは塩をつけただけで、おやつの時間にみんなで食べました。「病棟のきゅうりはうまい」と誰かが言い、笑いが起きる。その輪の端に、その子もいました。食べて、うなずいて、それだけです。でも、輪の中にいられる場所が、面談室でも教室でもなく、畑の続きにあった。そのことを私は覚えておきたいと思いました。

会話の糸口は、面談室の外にありました

畑では、不思議と言葉が出ます。「今日、暑くなるらしいよ」「昨日の雨で水いらないかもね」。天気と土と実の話だけをしていればいい場所だからかもしれません。向かい合って座る面談室では出てこなかった短い言葉が、隣にしゃがんで手を動かしていると、ぽろりとこぼれることがありました。

「ピーマン、嫌いなんだよね」とその子が言った朝のことは、よく覚えています。自分の好き嫌いを口にする。ごく当たり前のことですが、「自分はこう思う」を外に出せなくなっていた子にとって、それは小さくない一歩でした。私は「じゃあ収穫だけして、食べるのは誰かに任せよう」と返しました。その子は少しだけ笑いました。

面会の場面も変わりました。話題が「調子はどう」しかなかった親子の間に、「トマト、もう採れた?」という質問が加わったのです。ご家族が帰り際に「初めて、向こうから話してくれました」と言った日がありました。畑の実りは、親子の間の沈黙にも、細い水路を通していたようでした。

考えてみれば、当然のことかもしれません。「調子はどう」という問いは、答える側に自分の内側を差し出すことを求めます。調子が悪いとき、それはいちばん難しい注文です。一方で「トマトはどう」という問いなら、答えはトマトの側にあります。自分のことを話さなくても会話が成り立つ。その安全さが、結果的に言葉の通り道を残してくれていたのだと思います。

夏の終わりに、ぽつりと漏れた一言

8月の終わり、畑は少しずつ元気を失っていきます。トマトの葉が下から枯れ、きゅうりのつるが茶色くなる。片づけの日、支柱を抜きながら、その子が独り言のように言いました。「おれ、この夏なんもしてないと思ってたけど、こいつらの世話だけは毎日してたわ」。

劇的な言葉ではありません。宣言でも決意でもない。ただの感想です。でも私は、その一言を聞いて、少しの間、返事ができませんでした。「なんもしてない」と自分を見なしていたこの子の中に、「毎日していたこと」を数え直す視線が生まれている。それは、私たちがどれだけ面談を重ねても引き出せなかった種類の言葉でした。

私は「毎日やってたの、ちゃんと見てたよ」とだけ返しました。それ以上の意味づけは、しないでおこうと思いました。本人が自分で見つけた数え方に、大人の解説を上塗りする必要はないと感じたからです。その子はうなずいて、抜いた支柱を束ねる作業に戻りました。

後日、ご家族にもこの言葉をそのまま伝えました。しばらく黙ったあと、「私も、この夏なんにもしてあげられなかったと思ってました」とご家族は言いました。そして少し笑って、「でも、面会には毎週来てましたね、私」と続けたのです。数え直す視線は、子どもから親へ、静かに手渡されていくものなのかもしれません。

特別な支援より、小さな役割と繰り返し

誤解のないように書いておくと、畑仕事がこの子を治した、と言いたいわけではありません。治療にはいろいろな要素が絡み合っていて、何が効いたのかを一つに絞ることはできませんし、園芸がどの子にも合うわけでもありません。ここに書けるのは、あくまで「この子の場合はこうだった」という一つの経過です。

ただ、この夏が私に教えてくれたことがあります。決まった時間に起きる理由があること。自分がやらないと困る相手(それが苗であっても)がいること。やった結果が、実という目に見える形で返ってくること。評価されず、失敗を問われない繰り返しの中にいられること。この子の場合、回復の土台になったのは、そういう地味な要素の積み重ねでした。

面談や学習といった「治療らしい治療」が動き出したのは、秋になってからです。振り返れば、あの夏の水やりは、その助走だったのだと思います。何もしていないように見えた時間の中で、生活のリズムと、役割と、人と話すための小さな糸口が、静かに編み直されていた。少なくとも私には、そう見えました。

これは病棟の中だけの話ではないのかもしれません。私自身、父親として家で過ごしていても思い当たることがあります。大人だって、行き詰まったときに自分を立て直してくれるのは、立派な計画よりも、毎朝の洗濯物干しだったり、湯呑みを洗うことだったりする。小さな役割と繰り返しが人を支えるという光景は、たぶんどこの家にもあるものです。

今夜これだけ

お子さんがこの夏「毎日していたこと」を、どんなに小さなことでもいいので、一つだけ思い浮かべてみてください。声に出して伝えなくて構いません。

「今日も一日が過ぎた」を数えていい

夏休みが終わる頃、「この夏、何もしてあげられなかった」と自分を責めるご家族に、私は何度も出会ってきました。旅行にも行けなかった、勉強もさせられなかった、結局ずっと家にいた。そう数えれば、確かに「なかったもの」のリストは長くなります。周りの家の楽しそうな話が耳に入るたび、そのリストはさらに長くなっていきます。

けれど、不登校や心の不調の渦中にいる子どもの夏は、そもそも「イベントを積み上げる夏」ではないのだと、私は病棟で教わりました。むしろ、学校というプレッシャーが一時停止して、ようやく呼吸を整えられる季節です。その間、そばで同じ屋根の下にいた。ごはんを用意し続けた。それは「何もしていない」とは、まったく違うことです。

でも、あの子の夏を見ていた私は、別の数え方があることを知っています。毎日ごはんを食べた。毎日眠って、毎日起きた。同じ家の中で、今日も一日が過ぎた。回復の途中にいる子どもにとって、その繰り返しは「何もない時間」ではなく、次に動き出すための土台が編まれている時間かもしれないのです。

枯れた畑を片づけたあとの土は、何も植わっていないただの土に見えます。それでも次の季節に苗を植えれば、またそこから実がなります。何もしていないように見える時間の中で、回復は静かに進むことがある。ホースの水が土に染みていく、あの朝の音とともに、私はそのことを覚えておこうと思います。


参考にした公的情報・一次情報

この記事の内容に関連する制度・相談先・健康情報は、以下の公的情報・一次情報を2026年8月15日に確認しています。制度の運用や個別の医療判断は、学校・自治体・医療機関などへご確認ください。

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本記事は、児童思春期精神科での看護経験に基づいた一般的な情報提供を目的としています。医療行為・診断・治療の代わりとなるものではありません。お子さんの心身の状態にご不安がある場合は、必ず主治医・かかりつけ医・スクールカウンセラー・地域の相談窓口など、お子さまを直接見ることのできる専門家にご相談ください。詳細は免責事項をご確認ください。

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出典:厚生労働省「まもろうよ こころ」(2026年7月確認)
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