「先生じゃなくて看護師さんに話したい」と言われる理由|児童精神科の現場から

「先生じゃなくて看護師さんに話したい」と言われる理由のイメージ(やさしい水彩イラスト) 児童思春期精神科の現場から

この記事の要点

  • 子どもの本音は面談ではなく「評価されない時間」に出やすい
  • 診察室で話せないのは構造の問題で、子どもや親のせいではない
  • 家庭では車の中・料理中など「横並びの時間」が面談の代わりになる
  • 返事を求めず、親の側の話を独り言のように置くのが第一歩

「面談では『別に』しか言わないんです。家でも何を考えているのか分からなくて」。児童思春期精神科の病棟で働いていると、保護者の方からこういう相談をよく受けます。診察室では一言も話さなかったお子さんが、なぜか夜勤の看護師には学校のことをぽつぽつ話している。そんな場面を、私は何度も見てきました。

私は看護師歴8年、うち児童思春期精神科の病棟で5年以上働いてきました。その中で子どもたちから何度か直接言われた言葉があります。「先生じゃなくて、看護師さんに話したい」。今回はこの言葉の背景にあるものを、現場のエピソードを交えたエッセイとして書きます。読み終わる頃には、ご家庭でそのまま使えるヒントも持ち帰っていただけるはずです。

※本記事のエピソードは、個人が特定できないよう複数のケースを合成し、状況を抽象化しています。

消灯前の廊下で始まる本音

ある中学生の男の子は、入院してから数週間、診察のたびに「大丈夫です」「特にありません」と答えていました。主治医が丁寧に聞いても、心理士との面接でも同じ。記録上は「発語少なく、内面の表出乏しい」が続いていました。

その子が初めて長く話したのは、消灯前の廊下でした。歯磨きを終えて部屋に戻る途中、見回りをしていた私とすれ違いざまに「ねえ、ちょっとだけいい?」と足を止めたのです。廊下の薄暗い照明の下で、彼は学校で数か月前から無視されていること、親に心配をかけたくなくて言えなかったことを、少しずつ話してくれました。

私がしたことは、立ち止まって聞いただけです。気の利いた返しもしていません。それでも翌週、彼は自分から主治医に同じ話をしました。「看護師さんに一回話したら、言えそうな気がした」と。本音の最初の一滴は、診察室ではなく廊下に落ちたのです。

この構図は、彼に限った話ではありません。配膳のとき、検温のとき、ホールで一緒にテレビを眺めているとき。子どもの言葉は「その時間のために用意された場」ではないところで、ふいにこぼれます。

なぜ診察室では言えないのか

誤解のないように書いておくと、医師や心理士の関わりが下手なわけではありません。児童精神科の医師は子どもへの問いかけの専門家ですし、心理士の面接技術は看護師から見ても学ぶことばかりです。それでも診察室で話せない子が一定数いるのは、腕の問題ではなく「場の構造」の問題だと私は考えています。

診察室は、子どもから見れば「評価される場」です。目の前の大人は自分の状態を判定し、カルテに書き、薬や退院の判断につなげる人。質問には「正しく」答えなければならない気がするし、変なことを言えば入院が延びるかもしれないと考える子もいます。実際に「診察でヘンなこと言うと退院できなくなるでしょ」と口にした子もいました。

もうひとつは、質問と回答という形式そのものです。「学校はどう?」と正面から聞かれると、子どもは自分の気持ちを探すより先に「この大人が求めている答え」を探し始めます。大人だって、上司との面談で本音を全部話せる人は少ないはずです。予約された時間に、机を挟んで、目を見て話す。この形式は、心の柔らかい部分を出すにはかなりハードルが高いのです。

そして診察には時間の枠があります。10分なら10分の中で「ちゃんと話し終えなければいけない」。話し始めたら最後まで説明を求められる予感も、子どもの口を重くします。本音というのは、途中でやめられる保証がないと出てこないものなのです。

「評価されない時間」の力

では看護師の何が特別なのか。特別な技術ではなく、私たちが子どもと過ごす時間の「質」が違うのだと思います。看護師は診察をしません。配膳をし、検温をし、洗濯物を一緒に畳み、廊下ですれ違います。子どもから見れば「自分をジャッジしない大人」が、生活の中にずっといる状態です。

ある小学生の女の子は、家庭の話になると固まってしまう子でした。面接では俯いたまま。ところが夕食の配膳を手伝ってくれていたある日、「きょう、おかず多いね」と言ったあとに、「おうちではごはん、ひとりで食べてた」と続けたのです。トレーを並べる手を止めずに、です。私も手を止めず「そうだったんだ」とだけ返しました。そこから少しずつ、家での寂しさが言葉になっていきました。

このときの条件を分解すると、三つあります。第一に、目が合っていない。お互い配膳という作業を見ていて、視線の圧がありません。第二に、その時間の目的が「話すこと」ではない。話さなくても不自然にならないので、話すかどうかの主導権が子どもにあります。第三に、いつでもやめられる。「おかず多いね」に戻ればいいだけです。

私はこれを「評価されない時間」と呼んでいます。診察や面談が無力なのではなく、評価されない時間で言葉の練習をしてから、正式な場に持っていく子が多い。廊下や配膳は、本音のリハーサル室のようなものです。

良い子でいようとする子ほど

「専門家の前では良い子になる」傾向が特に強いのは、もともと大人の期待に敏感な子どもたちです。ある高校生は、診察のたびに自分の状態を整理して報告し、治療方針にも「それでお願いします」と答える、いわば模範的な患者さんでした。主治医も経過は順調と見ていました。

その子が夜、ナースステーションの前に立っていたことがあります。「眠れない」と言うので少し話を聞くと、「診察で言ってること、半分くらい嘘なんだよね」とぽつり。良くなったと言わなければ皆をがっかりさせる、ここまで診てもらって治らなかったら申し訳ない。そう思って「順調な自分」を演じていたと話してくれました。

大人を失望させたくない子ほど、正式な場では「ちゃんとした自分」を出します。それは嘘つきなのではなく、その子がずっと生き延びるために使ってきた技術です。だからこそ、演じる必要のない時間にしか、本当の言葉の出番がありません。この夜のことは本人の了承を得て主治医に伝え、治療の立て直しにつながりました。

ご家庭でも同じことが起きます。親が「ちゃんと話し合おう」と居住まいを正すほど、期待に敏感な子は「親が安心する答え」を差し出します。面談の構えは、良い子でいようとする子にとって、演技の合図になってしまうのです。

家庭でいう「廊下の時間」はどこか

ここからが、この記事で一番持ち帰ってほしい部分です。病棟の廊下や配膳にあたる時間は、どのご家庭にも必ずあります。共通する条件は先ほどの三つ。目が合わない、話すことが目的の時間ではない、いつでもやめられる。この三つが揃う場面を探してみてください。

  • 車の中(運転席と助手席・後部座席は自然に横並びになる)
  • 並んで歩く時間(買い物の行き帰り、犬の散歩、駅までの道)
  • 料理や洗い物をしているとき(手元に視線が落ちる)
  • 洗濯物を一緒に畳むとき(作業がある分、沈黙が気まずくない)
  • 寝る前、部屋の電気を消したあとの数分(暗さが表情を隠してくれる)

実際、外泊から戻ったお子さんの保護者から「帰りの車で、初めて学校の話をしてくれました」と報告を受けたことが何度もあります。病院の面会室では黙っていた子が、車という横並びの空間では話せる。あの車内は、家庭版の「消灯前の廊下」だったのだと思います。

逆に言うと、「話があるから座って」とテーブルに呼び出す形式は、いちばん本音が出にくい配置です。正面に座り、目を見て、時間を確保して。親としては誠実さの表現なのですが、子どもにとっては診察室の再現になってしまいます。話し合いが必要な場面はもちろんありますが、本音を聞きたいときの形式ではない、と分けて考えてください。

正面から向き合わない対話術

場所を選んだら、次は関わり方です。看護師が病棟で実際にやっていることを、家庭向けに翻訳すると次のようになります。

  • 質問より「独り言」を置く。「学校どう?」ではなく「今日、仕事でしくじってさ」と自分の話を先に出す
  • 沈黙を埋めない。黙っている時間も「一緒にいる時間」として成立していると構える
  • 本音が出ても大きく反応しない。「そうだったんだ」で一度受け止め、質問攻めにしない
  • 話が途中で終わっても追いかけない。「またいつでも聞くよ」で切り上げる
  • 聞いた内容をすぐ指導につなげない。「それはあなたも悪い」はその場では言わない

特に大事なのは三つ目と五つ目です。廊下で話してくれた子どもに私が質問を重ねていたら、あるいはその場で「それは君にも原因があるよ」と評価を返していたら、次はなかったと思います。せっかく出てきた本音に大人が飛びつくと、子どもは「話すと大ごとになる」と学習します。一滴目は、受け止めるだけでいいのです。

そして、話してくれた内容への対応が必要な場合(いじめへの対処や学校との連携など)は、時間を置いてから「この前の話、もう少し聞かせてくれる?」と改めて切り出せば大丈夫です。本音を聞く時間と、対応を相談する時間は分けていい。むしろ分けたほうが、子どもは次も話してくれます。

話を聞ける大人は、一人いれば十分

ここまで読んで、「うちは親の私にも話してくれない」と落ち込んだ方がいるかもしれません。でも、思い出してほしいことがあります。病棟で子どもが本音を漏らす相手は、その日たまたま近くにいた看護師です。担当が私でない日は、別の看護師に話しています。つまり子どもは「この人ひとり」に依存しているのではなく、「話しても安全な空気の人」を、そのつど選んでいるのです。

だとすれば、親が「自分に話してくれないこと」を過度に気に病む必要はありません。祖父母でも、塾の先生でも、部活のコーチでも、放課後等デイサービスの職員でも、誰か一人、評価せずに話を聞いてくれる大人がその子の周りにいれば、子どもの心はちゃんと呼吸できます。むしろ親は、子どもが選んだ「話せる大人」の存在を否定せず、そっと支える側に回るほうがうまくいくことが多いのです。

病棟を退院していく子を見送るとき、私はいつも家庭のなかに、あるいは学校のなかに、この子が横に並んで話せる大人が一人でも増えていますようにと願います。親がその一人になれれば理想ですが、なれなくても構いません。「話せる大人を子どもから奪わないこと」——それだけでも、立派な支えなのです。

今夜これだけ

今夜、洗い物や料理など手を動かしている時間に、お子さんに背中を向けたまま「今日ね、自分はこんなことがあってさ」と親自身の話をひとつだけ、独り言のように置いてみてください。返事がなくても成功です。「この人には評価されずに話せる」という空気は、そこから貯まっていきます。

看護師視点のまとめ

「先生じゃなくて看護師さんに話したい」という言葉は、看護師が優れているという話ではありません。子どもの本音は、評価されない時間・目が合わない配置・やめる自由の三つが揃った場所に出てくる、というだけのことです。病棟ではそれがたまたま廊下や配膳の時間であり、ご家庭では車の中や台所になります。

面談で話さないことは、親子関係の失敗ではありません。診察室で話せないことが医師の失敗ではないのと同じです。「うちの子は話してくれない」と感じている方は、話す場所と構えを少し横にずらしてみてください。正面からの1時間より、横並びの5分のほうが、言葉はよく出ます。

ひとつだけ注意点を。もし横並びの時間に「消えたい」「死にたい」という言葉が出てきたときは、家庭内だけで抱えず、必ず児童精神科などの医療機関につないでください。すでに通院中なら、次の診察を待たずに電話で相談して構いません。本音を受け止める場所と、治療を判断する場所は、車の両輪です。

消灯前の廊下で足を止めてくれたあの子のように、お子さんが「ねえ、ちょっとだけいい?」と言い出せる瞬間が、どのご家庭の日常にも隠れています。それを引き出すのは特別な技術ではなく、隣に並んで手を動かしている、評価しない大人の存在です。


参考にした公的情報・一次情報

この記事の内容に関連する制度・相談先・健康情報は、以下の公的情報・一次情報を2026年8月15日に確認しています。制度の運用や個別の医療判断は、学校・自治体・医療機関などへご確認ください。

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【医療に関する免責事項】

本記事は、児童思春期精神科での看護経験に基づいた一般的な情報提供を目的としています。医療行為・診断・治療の代わりとなるものではありません。お子さんの心身の状態にご不安がある場合は、必ず主治医・かかりつけ医・スクールカウンセラー・地域の相談窓口など、お子さまを直接見ることのできる専門家にご相談ください。詳細は免責事項をご確認ください。

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出典:厚生労働省「まもろうよ こころ」(2026年7月確認)
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