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プロローグ|「精神科の病棟」と聞いて、あなたが想像するものは
「児童精神科の病棟」と聞いて、なんとなく重たい鉄の扉や、白い壁、薬の匂いを思い浮かべた方もいるかもしれません。あるいは、自分の子どもがそこに入る日が来るとは想像もできない、そういう「遠い場所」として思い浮かべた方もいるでしょう。
これからお見せするのは、私が看護師として働いている、ある児童思春期精神科の病棟の、ある春から、次の春までの一年です。登場する子どもたちも、ご家族も、すべて架空の人物です。何人もの方の姿を混ぜて、誰のものでもなくしてあります。それでも、そこに流れている空気だけは、本物です。
怖い場所ではありません。にぎやかでもありません。ただ、しんどくなった子どもが、しばらくの間、安心して呼吸できるように整えられた場所です。学校でも家でもない、第三の部屋。そう言ってもいいかもしれません。
もしあなたが、お子さんの不調に気づきはじめていて、夜眠れずにスマホでこのページを開いてしまったのだとしたら、まずは深く息を吐いてください。今夜すぐに何かを決めなくて大丈夫です。ここから先のページは、あなたの選択肢を一つ増やすために書きます。「もしも」のときの行き先が、頭の中に少しだけ地図として残るように。
桜が散りかけた、ある四月の朝から、はじめます。
四月|入院初日のAさんと、桜の窓辺
朝のミーティングが終わり、ナースステーションのホワイトボードに新しい名前が一つ増えました。今日、入院してくる中学生です。診察室から病棟へ案内する役目を、私は引き受けました。
面会用ロビーの椅子に、その子はぽつんと座っていました。グレーのパーカーのフードを少しだけ目深にかぶり、両手は太ももの上で固く握られています。膝の上には、家から持ってきたであろう小ぶりのリュック。母親が二人分の説明を一人で受けていて、その横顔のほうが、本人より緊張しているように見えました。
「こんにちは。今日からよろしくお願いします」
声をかけても、フードはほとんど動きません。母親が代わりに会釈をしました。私はそれで十分だと思いました。初対面の大人にいきなり笑顔で応えられるなら、そもそもここには来ていない。
病室に荷物を運び、ロッカーの位置や食堂への行き方をひと通り説明したあと、私は窓辺のカーテンをそっと開けました。中庭の桜が、ちょうど散り際でした。風が吹くたび、淡いピンクの花びらが舞います。その子は、初めて顔を上げました。
「桜、きれいだね」
その子は答えませんでしたが、フードを脱ぎました。それで十分でした。
母親が帰る時間になり、玄関ホールで何度も振り返るのを、私は少し離れて見ていました。「いってらっしゃい」と声をかけたい気持ちでした。「ようこそ」ではなく、「いってらっしゃい」。ここはゴールではなく、立ち止まって息を整える場所だから。お子さんは、これからまた歩き出すために、しばらくここで過ごす。そういう気持ちで、新しい入院の子を迎えるようにしています。
母親はエレベーターの前で深く頭を下げて、それから泣きそうな顔のまま、手を振らずに帰っていきました。振り返らずに帰れる親はいません。みんな、振り返ってばかりいます。
五月|消灯後、廊下に漏れるひとりごと
病棟の夜は、思ったよりも静かです。二十一時に消灯すると、廊下の明かりは半分に落ちて、足元灯のオレンジだけが残ります。私のサンダルの底が、リノリウムの床にきゅっと小さな音を立てるたびに、世界がさらに静かになるような錯覚があります。
夜の巡視は、声をかけずに通り過ぎるのが基本です。眠っている子を起こさないように、ドアを静かに開けて毛布の上から呼吸の上下だけを確かめて、次の部屋に進みます。
その夜、ある部屋の前で足が止まりました。中から、小さな声が漏れていました。
「お母さん、ごめんね。ごめんね、お母さん」
寝言でした。リズムのあるつぶやきで、本人は深く眠っていることが息づかいでわかります。それでも、布団の下で何かが疼いているのが伝わってきます。
私はドアを少しだけ開けて、そっと見守りました。起こしてはいけないし、声をかけてもいけない。ただ、その「ごめんね」が、明日の朝までに少しでも軽くなりますようにと、廊下のオレンジ色の光の中で願いました。
ドアを閉めるとき、少しだけ思いました。この子が「ごめんね」と謝らなければいけない夜が、いつか「ありがとう」と言える夜に変わるまで、私は何回この廊下を歩くのだろう、と。何百回でも歩こう、と思いました。
六月|雨の日の面会、濡れた肩
梅雨の土曜日でした。朝から強い雨が降って、窓ガラスをいくつもの筋が斜めに流れていきます。面会の時間がはじまっても、その日はロビーに人がほとんど来ませんでした。
そんな中、ある子のお母さんがやってきました。傘は持っていたはずなのに、肩から袖口まで、ぐっしょりと濡れていました。たぶん、駅から病院までの道で、風で傘がさせなかったのでしょう。それでも遅れずに来た。毎週、必ず来る方でした。
子どもは普段、面会のときもあまり話しません。母親が一方的に「最近どう」「ご飯食べてる」「眠れてる」と話しかけて、子どもは「うん」「べつに」と短く返すのが、定例の景色になっていました。
その日は違いました。ロビーの椅子に並んで座って、しばらく沈黙が続いたあと、子どもが小さく口を開きました。
「肩、濡れてるよ」
母親は、はっとした顔で自分の肩に触れて、それから笑いました。少しだけ涙ぐんだ、ぎこちない笑顔でした。「うん、ちょっとね」。それだけのやりとりでした。それから二人は、雨が止むまで、特に何を話すでもなく、窓の外を眺めていました。
面会終了の時間が来て、母親が帰ったあと、子はナースステーションの前を通るときに、私と目を合わせました。何か言いたそうで、けれど結局何も言わずに、自分の部屋に戻っていきました。私はその「言わなかった分」を、ノートにそっと書き留めました。「肩、濡れてるよ、と言えた日」と。
子どもが親を心配する瞬間というのは、回復のひとつのサインだと、私たちは経験的に知っています。自分のことで精一杯のあいだは、誰の肩が濡れていても見えない。雨は、ときどき思いがけないものを見せてくれます。
七月|院内学級と、「十分」から始めた毎日
病院の中には、小さな学校があります。院内学級と呼ばれる場所で、教室は二部屋、生徒は数人、先生も少人数です。窓の外では蝉が鳴いていて、扇風機がゆっくり首を振っています。
その夏、ある子が新しく入院してきました。入院前は数ヶ月、もとの学校に行けていない子でした。入院初日に院内学級の話題を出すと、はっきり拒否反応を示しました。「学校はもう無理」と。私たちも無理に勧めず、最初の一週間は様子を見ました。
ところが、二週目の初め、その子は意外な顔で言いました。「ここの学校なら、新しい場所だし、行ってみようかな」。「もとの学校とは違う場所」だから、もう一度試してみる気になれた。それは私たちには見えていなかった、本人なりの理屈でした。
院内学級の先生は、通常のクラスとはまったく違う進め方をしてくれました。問題は本人のペースで、躓いたらすぐに別の角度から説明してくれて、できたところは小さくても具体的にほめてくれる。「これなら、なんとか行けそう」と、その子は授業のあとで、私にぽつりと言いました。
ただ、十分くらい経つと、明らかに集中が切れて、机に伏せたり、貧乏ゆすりが始まったりするのも、見ていて分かりました。私はその日のうちに、院内学級の先生と立ち話をしました。「フル参加にこだわらず、十分で抜ける形で、毎日ちょっとずつにしませんか」。先生は、あっさりうなずきました。「むしろそのほうが、長く続きます」。
翌日から、その子の時間割が変わりました。一時間目は十分だけ参加して、それ以降は教室に居てもいいし、病棟に戻ってもいい。先生はそれを「早退ではなく、参加の形」として扱ってくれました。プリントは出席ぶんだけ。やれた所だけ確認。
そうなってからは、その子は毎日、教室に通うようになりました。日によっては結局十分しか居られなかったり、別の日には三十分以上いられたり、波はありました。けれど、「行くか行かないか」のオール・オア・ナッシングの世界からは、ゆっくり抜け出していきました。
不登校の子に「とりあえず一日行ってみよう」を求めるのは、跳び箱で言えば、十段にいきなり挑むようなものなのかもしれません。一段目を踏める仕組みを、教員と医療チームでていねいに作る。それが、院内学級という小さな部屋でできていることのひとつだと、私はその夏に改めて思いました。
不登校の背景や、家庭でのかかわり方については、別の記事で「不登校 完全ガイド」としてまとめています。よかったら、夜中に目が冴えてしまった日にでも、ゆっくり読んでみてください。
八月|お盆の外泊から戻ってきた、疲れた顔
お盆の時期になると、外泊の希望が増えます。数日だけ家に帰って、また病棟に戻ってくる、というプログラムです。退院に向けたリハーサルでもあり、家族と過ごす時間の取り戻しでもあります。
送り出すときの子どもたちは、いつもとちょっと違う顔をしています。うれしそうに笑う子もいれば、玄関で立ち止まって動けなくなる子もいる。「家に帰りたい」と「家には帰りたくない」が、同じ子の中に同居しているのを、私たちは間近で見ています。
その夏、数日の外泊から戻ってきたある子は、出かける前とは別人のような疲れた顔をしていました。日焼けではなく、肩の重さが一目で分かるような疲労感でした。荷物を置くと、ろくに会話もせず、自分のベッドに倒れ込みました。私はそっとカーテンを引いて、その日は声をかけずにおきました。
その子は、戻ってきた日の夜まで、ほとんど眠り続けました。食事も最低限、お風呂も翌日にまわしてもらいました。私はナースステーションで申し送りを書きながら、「家で何かあったのだろうか」とずっと考えていました。本人に問い詰めるつもりはありませんでした。聞かなくても、寝ている姿が答えのようでもありました。
翌朝、その子はだいぶ早い時間に起きてきて、別人のような笑顔で食堂に来ました。同室の子と他愛もない話で笑い、午前中のレクリエーションでは中心に近い位置で参加していました。私が「よく寝られた?」と聞くと、その子はあっさり「うん、ぐっすり」と答えました。
その日の昼下がり、ナースステーションで記録を書きながら、私は少し複雑な気持ちになっていました。「家から戻って、ぐっすり眠れる」ということ。それは普通に考えれば「やっと安心して休めた」という意味になります。けれど、本来であれば家こそが、子にとって一番安心できる場所のはずです。
外泊で疲れて帰ってきて、病棟に戻って初めて休めるという順番は、家庭が今その子にとって相当に消耗する場所であることを、はっきり示していました。私は申し訳なくも、自分の認識をあらためました。「外泊させたほうが家族のためになる」と単純に思いすぎていたのかもしれない、と。
家と病棟、両方が必要な時期があります。どちらかを否定する必要はありません。けれど、子が家から戻って疲れているとき、それは「楽しんできた疲れ」ではないことが多い、というのを、夏の終わりに私は何度も思い直します。家庭環境の負担を減らす工夫は、退院前から、家族と一緒に組み立てていくものなのだと、その子の眠る後ろ姿が私に教えてくれました。
九月|新学期前夜、眠れない夜のナースステーション
九月一日が近づくと、病棟全体の空気が変わります。夏休みが終わって学校が始まる、というニュースが世間に流れるたびに、子どもたちは少しずつ口数が減り、夜眠れなくなる子が増えます。
八月の終わりの夜、ナースステーションのカウンター越しに、ひとりの子がやってきました。スリッパの音もたてずに、いつのまにか前に立っていました。
「眠れない」
そう言って、椅子に腰かけました。私は時計を見ました。深夜一時すぎ。「明日も学校あるから早く寝なよ」とは、ここでは言いません。「あるから」じゃなくて「あったから」、いま、ここに来ている子たちです。
あたたかいカフェインレスのほうじ茶を一杯、紙コップで出しました。湯気が、デスクライトの黄色い光の中でゆらゆら立ちのぼっていきます。話題は学校のことではなく、最近読んだ漫画の話と、来月の院内行事のことと、それから昨日見た夢の話でした。三十分ほど座って、子どもは小さく「もう寝る」と言って自分の部屋に戻っていきました。
九月一日が、社会全体で子どもにとってつらい日になりやすい、というのは、もうあちこちで言われています。私たちの病棟でも、九月の前後は神経をとがらせます。退院を急ぎすぎないこと。学校復帰のスケジュールを少しゆるめにとること。子どもが「行く」と言ってもすぐ全日には戻さず、まずは半日から、保健室登校から、教員と挨拶だけと段階を細かく刻むこと。
九月の夜のナースステーションは、不思議な安心感のある場所です。眠れない子と、眠れないまま夜勤を続ける看護師。お互い、無理に明るくせず、ただ同じ時間を過ごす。それで救われる夜が、たぶん、あります。
十月|紅葉の中の外出訓練、駅まで一人で
退院が近づいてくると、外出訓練が始まります。最初は看護師と一緒に売店へ。次に職員同伴で病院の敷地を一周。慣れてきたら一人でコンビニまで。最終的には一人で電車に乗って、ひと駅先まで行って戻ってくる。スモールステップ、と私たちが呼んでいる練習です。
十月のある午後、ある高校生がはじめて一人で駅まで行く日でした。病院の門のところで、私は「いってらっしゃい」と送り出しました。子どもは振り返らずに、紅葉が始まりかけたケヤキ並木の道を、ぎこちなく歩いていきました。
こちらは、外出時間のあいだ、何もしないわけではありません。記録をつけながら、何度も時計を見ます。約束の時間より十分過ぎても帰ってこなかったら、電話を入れる手はずになっています。でも、その日は、ほぼ時間ぴったりに、門のところに姿が見えました。
戻ってきた子どもの顔は、出ていったときよりも、少しだけ大人びていました。何か特別なことがあったわけではない。ただ、改札を抜けて、券売機で切符を買い、ホームで電車を待ち、決められた駅で降り、また帰ってきた。それだけのことが、その子にとっては何か月もかけて取り戻した一つの能力だったのです。
「どうだった?」と聞くと、その子は短く答えました。「ふつうだった」。私は心の中で拍手を送りました。「ふつうだった」と言えるようになるために、ここまでの数ヶ月があったのです。
外出訓練は、子ども本人だけのリハビリではありません。送り出す側も、ハラハラしながら一歩を許す練習をしています。家に帰ってからも、親御さんはきっと同じことを繰り返すことになる。その予行演習を、私たちはここでお手伝いしているような気がします。
十一月|父親が初めて来た日
その家は、母親が毎週末来ていて、父親はずっと顔を見せていませんでした。仕事が忙しいから、と母親はいつも代わりに謝っていました。子どもは、面会でその話題が出るたびに目を逸らしました。
十一月のある土曜日、面会ロビーに見慣れない男性が立っていました。背広姿で、肩がこわばっていて、書類を持つ手が少し震えていました。受付で名前を伝えるとき、声がかすれていました。
主治医との面談のあと、本人と父親と母親の三人の時間がありました。私はその場の付き添いに入りました。父親はうまく言葉を選べないまま、何度も何度も、「ごめんな」と「気づかなくて、ごめんな」を繰り返していました。
子どもは、最初は床を見ていました。そのうち、父親の靴を見ました。それから膝、肩、と視線を上げていって、父親の顔を見る前に、自分の手をそっと父親の肩に置きました。
父親は声を上げて泣きました。子どもは、何も言いませんでした。母親は、その光景を、隣で静かに見守っていました。
父親が変わるとき、というのを、私たちはこの仕事のなかでときどき目撃します。多くの場合、それは劇的ではなく、ほんの数分の出来事です。家庭の中で長年積み重なってきた距離感が、その数分でほどけることがある。子どもの不調をきっかけにして、家族が再編される瞬間に立ち会うのも、この仕事の一面です。
父親がはじめて病棟に足を踏み入れた日のことは、別に「父親が初めて面談に来た日」というタイトルで一本書いています。同じ立場で迷っている方がいるなら、読んでみてもらえたらうれしいです。
十二月|クリスマスの小さなプレゼント交換
十二月の中ごろ、病棟では小さなクリスマス会が開かれます。プログラムは、ささやかなものです。みんなでホットココアを飲み、誰かが弾くピアノを聴き、紙でつくった小さな飾りを交換する。それだけです。
看護師から子どもたちに、ちょっとしたメッセージカードを渡します。子どもたちからは、家族あての手紙を、希望者だけ書いてもらいます。強制はしません。書きたい子だけ、書きたい人へ。
その年、ある中学生が母親あてに書いた手紙を、預かって渡してほしいと言ってきました。「直接渡すと泣くから」。封筒のまま預かって、面会の日に母親に渡しました。
後日、母親が手紙の内容をそっと教えてくれました。便箋に短く一行だけ、「お母さん、ありがとう」と書かれていたそうです。「迷惑かけてばっかりでごめん」「いつも来てくれてありがとう」のような長い文ではなく、「ありがとう」だけ。
母親は、その紙を毎日カバンに入れて持ち歩いています、と言いました。「お守りみたいに、なってます」。クリスマスのプレゼントというのは、こういう一行のためにあるのかもしれない、と思いました。
一月|退院しても、また来る子のこと
新しい年が始まると、長い休みのあいだに調子を崩した子からの問い合わせが増えます。一度退院したはずの子が、また入院してくることもあります。
そういうとき、ご家族はとてもつらそうな顔をします。「またここに戻ってきてしまって、申し訳ない」「うちの子育てが、何かまた間違っていたんだと思います」。受付で頭を下げたまま、なかなか顔を上げられない親御さんもいます。
私たちは、こういうときに使う言葉を、少しずつ磨いてきました。「失敗ではないですよ」「立て直し、立て直し、で大丈夫です」「むしろ、また来てくれてよかったと思っています」。台詞のようにきこえるかもしれませんが、これは本心です。
こころの不調は、骨折のようには治りません。よくなったり、また少し沈んだり、また持ち直したり、を、長い時間をかけて繰り返しながら、その人らしい暮らし方を取り戻していくものです。再入院は、そのプロセスの一部でしかありません。
一月のある日、半年ぶりに戻ってきた子に、私はナースステーションのカウンター越しに小さく手を振りました。声に出してしまうと、本人がさらに恥ずかしくなってしまうので、声は出しませんでした。その子は、目元だけで笑い返してくれました。「おかえり」と「ただいま」を、口に出さずに交わすやり取りが、ここにはあります。
何度でも、おかえり。何度でも、ここで休んでいい。そう言える場所であり続けたい、と一月の冷たい廊下を歩きながら、毎年、思い直しています。
二月|節分の夜、思いっきり投げる豆
二月のはじめ、病棟では小さな節分会をします。鬼の役は、たいてい看護師です。鬼の面をつけて、大ぶりの紙袋に入った豆を持って、夕食前のホールに登場します。子どもたちには、薄手の紙コップに、豆をたっぷり配ってあります。
「鬼は外! 福は内!」の合図で、子どもたちが一斉に豆を投げます。小学生と中学生は、容赦がありません。思いっきり、勢いよく、こちらの胸元やお面の鼻のあたりに豆をぶつけてきます。普段は静かな子も、ここぞとばかりに大きな声を出します。笑顔が、ホールの天井まで届きそうな勢いで弾けます。
少し離れたところで、それを見守っているのは、高校生の子たちです。さすがに自分が走り回って豆を投げるのは恥ずかしい、という年頃です。でも壁にもたれながら、年下の子たちが鬼を追いかけ回すのを見て、口元がほころんでいるのが分かります。「いいね、本気で投げるね」と、隣の友達と笑い合ったりしています。
面の中の私は、視界が狭くて足元が頼りない上に、豆が顔の前で跳ね回って、思った以上に必死です。それでも、聞こえてくる笑い声で、誰がどのへんで投げているのかが、なんとなく分かります。普段はナースコールでしか聞かない子の声が、こんなに大きく、こんなに楽しそうに響くのか、と毎年驚きます。
豆を投げ終わったあと、面を外すと、ある小学生の子が私の顔を見て、目を細めて言いました。「あれ、◯◯さんでしょ?」。声と動きで、すぐに分かったそうです。別の子は、最後まで「鬼さん」と呼んでくれていました。気づいた子と、気づかない子と、知っていて気づかないふりをしてくれる子と、いろんな反応があって、それがそれぞれにいいなと思います。
節分の夜から二、三日のあいだ、病棟の中ではあちこちで節分の話題が続きます。「あのとき◯◯さん、結構痛そうだったよね」「私、思いっきり投げたから、ごめんなさい」「来年は私がやろうかな」。普段はあまり会話の輪に入れない子も、節分という共通の話題なら、ぽろっと一言入ってこれることがあります。
季節の小さなイベントは、病棟の生活にとって、ただの娯楽ではない、と私は思っています。一年の同じ時期に、似たような形で繰り返される行事は、子どもたちの中に時間の感覚を取り戻させてくれます。「去年もここで節分やったよね」「来年は退院してて、家でやってるかも」。そんな会話が、過去と未来をやさしくつなぐ役割をしてくれます。
顔面に豆をぶつけられても、看護師が損したとは思いません。むしろ、私の中では、節分の鬼役は早く順番が回ってきてほしい役どころです。子どもたちが本気で笑える瞬間を、こんなに近くで見られる機会は、そう多くないからです。
三月|次の春に向けて、桜のつぼみのまえで
三月になると、退院ラッシュです。新学期から学校に戻る子、進学先が決まった子、進路を一年延ばすことに決めた子、それぞれのスケジュールに合わせて、最後の調整期間が組まれます。
退院の朝、玄関ホールで荷物を抱えた子どもと、迎えに来たご家族の光景が、何度も繰り返されます。涙ながらの抱擁もあれば、照れくさそうに「じゃあ」とだけ言って車に乗り込む子もいる。それぞれの家族が、それぞれの再開を、少し緊張しながら始めていきます。
「お世話になりました」と深々とお辞儀をされると、私はいつも返答に困ります。お世話、ではなかったような気がするのです。一緒に過ごしただけ。一年の中の、ほんの一部の時間を、たまたまここで過ごしただけ。それだけのことです。
夕方、ぜんぶの退院手続きが終わって、誰もいなくなった病棟の廊下を歩きます。窓の外、中庭の桜の木は、まだつぼみが固いままで、けれどよく見ると、枝先のほうがほんの少し、赤みを帯びています。あと何日かで、また散り際の桜になります。
一年で、何人を見送ったでしょうか。何人を、新しく迎えたでしょうか。記録の上では数えることができますが、感覚としては数えていません。一人ひとりの顔を、思い出せる範囲で思い出し、それぞれの今夜が穏やかでありますように、と祈るくらいが、ちょうどいい。
看護師としても、二人の子どもを育てる父親としても、来年の今ごろもまだ、私はここに居たいと思います。誰かの「ようこそ」と「いってらっしゃい」のあいだの数ヶ月を、桜の窓辺と一緒に見守っていたい。それだけが、この仕事を続ける理由のように思える日があります。
エピローグ|病棟で過ごす時間の意味
ここまで読んでくださった方の中には、「思っていたより、ふつうの場所だった」と感じた方もいるかもしれません。それでいいのです。児童思春期精神科の病棟は、特別に怖い場所ではありません。家でも学校でもない第三の部屋として、しんどくなった子どもと、揺れているご家族のために、しずかにあり続ける場所です。
ここで過ごす数週間や数ヶ月は、子どもにとって「立ち止まって息をする時間」であり、ご家族にとっても「家族の役割をいったん組み直す時間」になります。罪悪感を抱えて入院を選ぶ親御さんは多いですが、預けることは、見捨てることとはまったく違います。むしろ、家族みんなで立て直すために、いったんプロの手を借りる、という賢明な選択であることのほうが多い。
もし、外来の主治医から入院を勧められる日が来たら、頭から否定せず、選択肢の一つとして検討してみてください。即決しなくて大丈夫です。何ヶ所か病院を見学してから決めても遅くありません。もし、まだ受診にもたどり着けていないなら、まず初診の流れだけでも知っておくと、いざというとき動きやすくなります。「子どもの精神科受診 完全ガイド」のほうに、そのあたりの最初の一歩をまとめてあります。
個別の診断や治療方針については、必ず実際の主治医とご相談ください。この記事は、あくまで一人の看護師から見える病棟の風景を、抽象化してお伝えするためのものです。
そして最後に。もし今夜、お子さんのことで一人で抱えきれないと感じている方がいるなら、どうかひとりで抱えないでください。電話をかけられる先がいくつもあります。あなたの孤独に寄り添いたい人が、まだ会ったことのない場所に、たしかにいます。
緊急のときの相談先
今夜どうしてもつらいとき、お子さんの様子が心配でたまらないとき、まずは下記の窓口に電話してみてください。無料・匿名で話せます。
- いのちの電話 0120-783-556
- よりそいホットライン 0120-279-338
- 24時間子供SOSダイヤル 0120-0-78310
命の危険があるとき、自傷の出血が止まらないとき、強い希死念慮が口に出ているときは、迷わず119番、または最寄りの救急外来に連絡してください。夜間でも対応してくれる窓口は、必ずあります。
明日、病院の予約を取るその一歩を踏み出すために、今夜だけ、誰かと電話でつながっていてもいいのです。あなたが受話器を取ったその時間は、お子さんを救うはじまりの時間です。

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